DANCE TRUCK TOKYO
DANCE TRUCK TOKYO 2019
STORY SHINJUKU
大國魂神社「くらやみ祭」の様子。
もとは大國魂神社の参道だったケヤキ並木が府中公演の舞台

「東京の15のはなし」
DANCE TRUCK TOKYOとパラレルに展開する、15人の作家が語る、15のものがたり。

vol.5 府中:杉山至(セノグラファー)



パフォーミングアーツ都市・府中
by 杉山至(セノグラファー)

品川道というのがある。
この道が府中の歴史的な位相を浮き彫りにする。

府中に鎮座する大国魂神社の大祭“くらやみ祭り”は品川沖での汐汲みから始まるという。大国魂神社を出発して歩いて6時間以上かけて品川まで至り、品川沖の海水を汲みその水で御神体の鏡を磨く。

東京府中 ・大国魂神社から多摩川に沿って南東の方角にくだる。調布、狛江、等々力を過ぎ、大田区洗足池で一旦登りになる。台地の尾根道にいたり、江戸の南の外れ品川の湊(現在の北品川エリア)までゆっくりと下ってゆく。くらやみ祭りの最初、汐汲みで辿るそのルートが品川道だ。

なぜ府中と品川なのか?
府中は平安時代に武蔵の国の国分寺と国府が置かれた場所。武蔵の国は現在の東京、埼玉、神奈川東部にまたがる広大な地域だ。国府が置かれた場所は既にその当時栄ていた場所か、時の権力にとっては押さえておくべき重要な場所である。裏を返せば厄介な勢力がいた拠点でもあり、国司を置く事でそれを監視する目的もあったであろう。

大国魂神社の起源は国府が置かれるよりさらに古く、景行天皇41年(西暦111年)5月5日大神の託宣に依って造られたものとされている。ここに祀られている大国魂大神(オオクニタマノオオカミ)は出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)と同神という。出雲と武蔵の国が繋がっている。面白い関係だ。遠く青森・三内丸山遺跡や埼玉の古墳群と同様にヤマトを中心とした時の権力の中心とは異なる古層の日本の地政が垣間見みえる。

そして府中は近世にかけて関東武士団の重要な拠点となっていく。くらやみ祭りに集合してくる神輿や山車を持つ地域の広がりを思えばその勢力範囲の広さがわかる。

一方、浅瀬が遠く天王洲まで広がっていた品川湊は、海産資源の豊富な自然の良港として江戸期以前から栄ていたという。海で陸揚げされた物品や海産物は品川道を逆にたどり府中へと運ばれ、武蔵野や遠く奥多摩や秩父の山からの山林資源や農産物は多摩川を筏(いかだ)でくだった筏道を経由し品川道を通り品川湊まで運ばれた。品川は関東武士団にとって物流の拠点としてキープしておきたかった場所に違いない。
府中と品川。これらは共に江戸が栄える遥か以前からの関東における地政学的に重要な層を形作っていたわけだ。

また、品川のお祭りは“南の天王祭”といい、祭神は天王洲の名前の由来にもなった牛頭天王だ。牛頭天王は京都祇園祭りの祭神でもあり、芸能と深い繋がりがある。大国主命と牛頭天王。牛頭天王はインドでは破壊と再生を司る炎の神シヴァ神の異名・ナタラージャ(踊りの神)ともつながり、日本では素戔嗚命(スサノオノミコト)と習合している。そして素戔嗚命は大国主命の兄にあたる。

兄と弟といえば、兄・海幸彦と弟・山幸彦の神話だ。
天宇受売尊(アメノウズメノミコト)の神話とならび、記紀神話(古事記・日本書紀)ではこちらも日本の芸能の原初と実は深い関係がある。(日本劇場史の研究・参照)九州鹿児島地方の隼人の舞と俳優(わざおぎ)の起源とされており、隼人は海幸彦として神話では語られ、彼らの祖神は火照(ほでり)とされ、やはり炎と関係がある。

海と山の民と破壊と再生と炎とダンスと演劇。
国境や民族を超えて神話は入り組み、人間と超越的なるものとの対話の方法として身体知を使ったパフォーミングアートが発明される。

建築思想家であり評論家である神代雄一郎によれば、日本の祭りにおいては山と海の往還が重要とされる。水平方向の日常の空間に非日常である山と海をつなぐ垂直方向の“神の道”が祭りのハレの日にのみ現れる。日本の芸能と深く関わる海の神と山の神が再び出会う。その道を往く事。神輿や山車が練り歩くルートは、神々が辿った道であり、それを再び巡り身体と五感を研ぎ澄まし再演することが祭りにおいては重要なのだ。

くらやみ祭りは本来なら深夜真っ暗な中、炎を燃やし無数の松明や提灯の灯りのみで開催されていたという。五感と身体が否応なく敏感になる環境をわざわざ選び祭りが行われていたわけだ。

だいぶ話しが遠くまで行ってしまった。再び品川道に戻ろう。

以前、品川道をちょっとだけ歩いた事がある。洗足池から南側、品川の海までの道は真っ直ぐ伸びる気持ちの良い尾根道だ。背骨のように他の道がこの道から派生している。細い道なのだが歩いているとその道の古さを実感する。立ち止まって坂の下を見やると遠く横浜あたりまでの視界が開ける。道が美しくかつ気持ち良い身体性を有している。 晴れた日にはきっと、この台地の尾根道をゆっくりと下っていく先に、遥か遠く房総半島と三浦半島によって美しい弧を描いた江戸湾の絶景が一望出来たに違いない。

山と海が出会いなおす。日本の神事・芸能にはこのような神話的な出来事を内包したパフォーマンスが潜んでいる。府中はくらやみ祭りを通して大地や海と呼応したそんな身体性を有したパフォーミングアートの原初を保持している。




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